クラブこゝとめ 第四話 ひひじじい運動会 或いは 低学歴女子会:名士の名刺は傷つかない (挿入さえしなければな)
「ルールルルるるるルールるるるるるるルルルーって、私が由紀さおり歌ってると思うたら、ちゃうで。徹子の部屋のテーマ、あれや。ご覧になっとられる、皆さん、今晩は。うろたえんでもええよ。ここは、クラブこゝとめ。ココトメんはんとこのチャンネルです。あなたは間違っていません。私、花柳幻舟が、クラブこゝとめ、今晩のっとってんねん。低学歴女子会云うて、羽仁のな、あの、五郎んとこの孫娘、サラブレットの未央ちゃんが来るいうて、私もな、自分とこの店、近所で、バー人民やってんねんけど。そうです。ここからほんの数分の。そう云う次第で、今晩は万障お繰り合わせ、で呼ばれたわ。お題は低学歴女子会、云うからには、なあ、天下の霊媒ココトメさんかて、まさに当事者やんか。いつから占い師してはったん?9歳くらいから?預言者という触れ込みで、お父さんが産経の偉いさんに、ほうか、キュウサイのココトメちゃんを、売りはったと?そっら、えらい毒親やんか。そやったら、やっぱり小学校は中退のクチですか?ああ、預言者が学校の先生の云うこと聞いてる場合か、商売に障る、って行けんかった、と。産経新聞の事務所の机で勉強するにはしたけれど。と云うことは、ああ、五年生ぐらいから学校は頓挫、と。やはりそうですか。名人の影に、毒親あり。しかしな、云うてみれば毒親は名人の母、かもしれんで。今日は、未央ちゃんが来はるというから、と云いますか、常々考えてたこと、を私、また考えてもうてな。あ、未央ちゃんや。よう来はった、いらっしゃーい、何飲まれます?日本酒ですか。熱燗で。お待ちください。それでは、連想ゲームです。私が、羽仁未央さんについて考えると自動的に思い出してしまう人は誰でしょう。ええっ、それは連想ゲームじゃないがな?これは失礼しました。それでは、ですよ。誰ですか。って誰て、まだ違うか。ほんならクイズや。それが答えなんや。誰と思います?その私が羽仁の五郎の孫娘未央ちゃん、とくると自動的に思い出す、それ誰か。それは、霊能ですか、て、それでもええ、なんでもええわ。誰や。ああーっ、わかったわかった。私な、ミミちゃん、又の名を廣瀬千尋、三好京三のぶっちゃけ養女の、あれ、裏羽仁未央とずーと思っとんねん」
「今晩は、羽仁未央です。なるほど、それはある意味、非常に分かるような。というか。私にしてみれば、確かに、私が裏ミミさんであったという見方もできますね。あの、学校を拒否して、父親とほっつき歩く子供、がミミさんと私の共通した幼少期ですよね。それから、後、三好京三氏への告発がミミさんからあった当時、私は一応ある程度のことのあらましは把握していたつもりなんですが、あの事件自体が、非常に社会的に、もうこれ以上ない都合が悪いことで、これを露呈して、的確に社会にそのタブーを前面に押し出してぐうの音もいわせない、いわゆる地位も名誉もある年長者男性を、社会的にその位置する座から引きずりおろす、という点で、あれは後年の#ミートゥーの先駆けでした。私あれから、少し時間が経った頃、「子育てごっこ」を読み返したことがありまして、あれを読んでいると、ああ、映画もありましたよね、あの一連の「学校教育美談」の中に、ミミさんはある程度、性的な価値を担保に三好京三ときだみのるの間でやりとりされていた、という伏線が既にあるんですよね。それがほぼ当たり前過ぎて、皆わざわざ疑問に付さない。でも、その、大人の男が、実際は見ず知らず、身寄りのない女児の性をやり取りしている、それだけを、そうだ、と書かないだけで。実際は、戸籍に入れるとか入れない、でやり取りされている人身売買、そういう話なんですよね。ミミさんが三好京三家へ養女入りする時、実際には、自分でその取引きができるような歳でもなく、かといって、全く意思を持ちえない乳幼児の歳でもない。あの三好は、「女の性としてのゆくゆくの価値」をミミさんに既に見込んで話の前提にしている。当時の世間一般では、学校教育無縁の孤児の救済、学校教育の勝利、が「子育て」、だったとすると、その「裏バージョン」が「子育てミミさん」からの後の告発、ということでこれは格好の醜聞餌食になる。しかし、実は、きだみのるという既に名をなした名士から、これから名を成そうという功名心に駆られてもいる名士予備軍へ、ミミさんが引き継がれる経緯で、それは手頃な備品、名士小道具のリレー運動、無論性的な価値がその核で、という含みが、子育てごっこの物語の中に、既にある。これはかなり凄惨な史実だった、という気がしました」
「名士のリレー、ってそれを云うなら、ひひじじいのリレー運動、運動会やな」
「まあ確かに。それいいですね」
「名士、てな、それを云うたら、羽仁さんとこみんな名士や」
「つまりみんなひひじじい(笑)、ですか。ひひじじいの系譜、って。いや、そこで、女の子供でよかったと思います。女子は、どんなひひじじいを親に持っても、それ、そのひひじじい「名士性」という特権みたいなもの、受け継がないんですよね。社会的に、受け継げない、と云うべきか」
「あああ、そうや。ほんまによかったな、女の子供で」
「確かに。というか、私、そういう、女子故に置かれる状況、というようなことに気づくのが、恐ろしく遅い女子の子供、だったんですよね。これは、実際、私の家族、親族を取り巻く状況がまさに、その類の「名士」的治外法権下にあった、ということで、私は自分が父のその「名士」性に保護されているだけ、であるということに気づかず、自分を父とだけ同一視していたんでしょう。そこで、実際の母は私の育った環境にはいませんでした。自分の母親ではないと考える女の人が代わりにそこにいても、別に自分となんらかの関係があるとも、思ってませんから。私は、幻舟さん仰る通り、日本の学校制度は小学生で縁を切りそれまでです。そこで問題はありませんでしたが、それはその後の人生で別な問題になって出てこない、というわけでは、ありませんでした」
「あのな、うちは、自分の頭の、というか心の中で、なにか書類みたいなの整理する棚があんねん。その棚とは、普段は、そうそう使えませんが、もうぼやーっとした、霧の濃くかかった倉庫みたいなところにあってな、何やら、寝ている時とか寝入りばなとか、風邪引いて、そう、意識が朦朧としたりした時だけ、そこ行って調べたりできるようなもんですわ。そこでな、刑務所で一緒だった者の棚に、ミミが入ってんねん。未央ちゃんは、そこやないで、収まってんのが。ココトメさんはな、その棚や。あーそうや。あんた、執行猶予一回、あったやんな。それや。それもあるねんな。そやけど、ミミがな、捕まったことは無いはずが、前科者の棚におんねん」
「それは、棚なんですか。引き出しとか」
「いや、それがな、そういう感じにならんと出てこない、コンピューターのファイルみたいなものが、そういう時にだけ見えるようになっててな。霊媒ってそないにするのん、ココトメはん。いや、風邪ひくの待ってたら仕事にならないって、せやな。」
「そういうのが、あの、心理、特に深層心理ってあれ、フロイトやら、ユングやら、一連のひひじじいらが云ってますよね。雑なさわりだけで云えば、まさに、そういう状況でだけ入り込める、意識の棚とか、引き出しとか、そういう部屋みたいなものですよ、それぞれの意識で。あ、無意識で、か。私がその幻舟さんの無意識棚では、どこに仕訳されているか、は置いといて、おそらくね、幻舟さんの深いところで、男の、ひひじじいの、いわゆる家父長の、それそれ、利益に逆らうと、人の世は女人を生かしときませんからね、その抵抗をしたという行為の、その苦難と栄光を共有する、という分類なのでは。あの、私、さっきも云ったように、こういうことは全て随分遅れて知った、要するにその線の世間知が全くありませんでした。別に学校なんか行かなくとも、学校経営していた、教育には一家言も二家言もある親戚が揃っていて、というのもあって、そういう普通の教育や軌道から逸脱することすら祝福されて、まあ、おだてられて、自分が女子の生というある意味限定つきの人生を生きていることに、そうですね、二十代中頃ぐらいまで、全く気づいてないんです。それで、身近な例の女子の人生は、それぞれ個人の失敗例なのかな、という解釈を、子供ながらにしていたところがある。例えば、私の実の母は、あれは、あの人の失敗であって、女の人の人生がそうならざる負えない、そういう要素からなっているということを、随分後まで、考えたことがなかったんですね。そして、最初にあれ、おかしいな、と思う。あれは、私が、まあ当然の成り行き、とでもいうかのように、映画に出る仕事を始めるんですが、これが、セーラー服を着て、スカートを、こう太ももの付け根までたくし上げて、足を開く、というような内容でした。それは前衛、という、当時よく使われた、映画界界隈で、そうですね、ひひじじいたちに多く用いられた、最近解禁の女子の性をいち早く消費しなければという死に物狂いの執念の正当化や免罪のスローガンです。別に前衛で結構ですが、私が具体的に関わったあの作品は、できるだけたくさんのセーラー服姿の女子を画面に入れる、という企画でしかないので、あれ、こういうのが私の仕事なのかな、おかしいな、と思って。あれが、私が十八ぐらいで、それから。あーっ、あれ、ご覧になってました?それはもうかなりの好事家ですね、幻舟さん。そうです、ヘリウッド」
「あの映画、あれは、後の秋元の高校生を画面にズラーっと並べる、おニャン子、あの置屋商法を預言しているから恐ろしいで。というか、あれが、好きなこと何でもしてええで、とされた男の行く末ねん。それが秋元なら、その先駆けがあの映画や」
「まさにその通り。でも、その前に、女子大生ブームがある。ミミさんが私と一つ違いで、私が一歳下でしたが、私たちの世代が、その女子大生ブームに担ぎ出されたど真ん中です。私は、セーラー服というものを着たのは後にも先にもあの映画の時だけで、女子大生という、教育とは実は無関係な、女子の性の当時の最先端商法にも無縁でしたが、最終的に、演者は自分で物事を決定することが’できないということに嫌という程気づいて、演者ではなく制作の側に行こうと考えて実際試み始めたのも、ちょうどこの頃です。まあ、孤立するのは毎度のこと、とはいえ、実際そういう線で仕事、となると、仕事はありませんでした。世間は、私に、カメラの向こうにいてほしい、私に自分の考えを持たないで欲しい、の一点張りでした。結局、孤高の標榜ならお好きなだけ、ということで、演者ではない私に、仕事みたいなものはないんだな、ということに気づかざるを得ず。誰も自分のことを知らない香港で、何とか映画の界隈で仕事をたまにできたら、という、ぶらぶらを、最終的にはアジアに広げて、とやっているうちに時間切れになって、こっちに来ました」
「お子さんは、お父さんが見てはるのやろ?」
「いやー、子供ももういい歳ですから、おじいさんのケアでもしてくれてたらいいですけどね。ひひじじいどもが夢の後(爆笑)、とか」
「いや、いくら何でもそんなこと私いわんで。笑かすなー、未央ちゃん」
「でも、私も今なら分かりますよ。私の実の母が出て行ったのは、母の落ち度でなんかなく、もしそれが母の失敗になるというのなら、私も自分の失敗を受け止めなければならないということを。つまり、男に生まれた者だけが十全に人であるというこの制度の中で、女の人の人生はもう女に生まれた時点で失敗、ということなんですよね。それは、誰かのせい、というより、制度、のせいです。だから、幻舟さんの『前科者』の棚は、家父長制の元でその生存に戦ったり挫けたりした、女性のリストなんだろうと思いますよ。私だって、やはり家父長制の失敗の一例でもあります。だから、その棚のどの辺に私がいるか、気になります」
「そうかー。成程な。今度風邪引いた時とくと調べとくわ」
「教えてください、是非」
「それでもな、前から聞こうと思ってたんやけど、未央ちゃんは映画を志したのはいつ頃でしたか」
「さて、それがまた、ひひじじいの影響にあったということでしょうか、仕事をするって云っても、他に発想がなかったので、そうなったという感じでしょうか。だから、映画に自分も関わるんだろうなと思っていたのはもう物心ついてから、すぐかな」
「じゃ、適宜な役さえあれば、役者で続いていたと思われますか」
「いや、自分は役者どころか、テレビのリポーターも実際は難航するぐらいでしたから、とにかく、演者一般の資質に欠けていたのだと思います。あ、エッセイスト、というのも、あれは、今日の語りのあり方、特に女子の一人称、と当時の、はやはり違いますから、私のエッセイストという肩書きは、書き手として立つところまで行かないで立ち消えという感じでした。だって、小学生の年の頃でしたよ、最初に何か出版したの」
「お母さんは名優だとお考えですか。私は、左幸子さんは、日本屈指の役者でおられたと思っています」
「そうですね。別に母でなくとも、というか、母でなければ、寧ろ簡単にそうだと思っていたと思います。そこで、私が自分で制作側にまわって、監督などが出来たかというと、実際の生活はそれどころじゃなくなりました。まず、私には職業的自立ができるほどの収入がなかったので。これは、『好きなだけ孤立』の代償でした。まず、あれは、七十年代の終わり、から、先程云ったような、女子大生を特化した性表現がマスメディアを席巻して、それが更に低年齢化した女子高生ブームに移行するまで、つまり八十年代中盤あたりまで続くんですが、まさに幻舟さんがミミさんの告発に関わっていくあたりですよね。あの頃、現役女子学生の性体験の吐露、風の小説が二作あり、映画化されて大変注目されたのですが、一つが、「もう頬杖はつかない」、そうです、桃井かおりさんの出世作ですね。そして、もう一つが、「ダイアモンドは傷つかない」、あれは、田中美佐子さんのデビューでしたっけ?あれを、比較、検討、吟味した時に、愕然としたことを覚えています。当の小説は二作とも、早稲田大学一文の女子学生の在学中に書かかれた(もう頬杖は見延典子、ダイアは三石由紀子、こちらはテレフォン人生相談に出ておられる、三石先生ですね)、人生最初の失敗について、なのですが、これらが映画化されると、あっという間にひひじじいの内面について、になっている。つまり、あれ、ひひじじいたち、おっさんたちが、俺たちなしに女子大生の性が成立してはならない、という家父長制宣言の駄目押し、だったのです。そこに、ミミさんの告発が入って、おっさん何やっとんねん、という批評が日本の歴史で初めて成立したのです。それが、幻舟さんが日本の#ミートゥーの祖、たる所以です。更に追求するに、あの、ミミさんによる一連の告発が収束する経緯で、その重大要素の一つに、「三好とミミさんは挿入だけがない」関係だったということがあります。これによって、世論が、「未挿入、免罪、冤罪」という方向に流れて行った。「つまり、挿入がなければ、何もない=無罪」という通念がそこに強固に働いているのです。実は、これと全く同じロジックが、『ダイアモンドは傷つかない』で、偶然にも、というか必然でしょうか、作品の軸になっている。ここは映画と全く異なっている点ですが、原作小説のあらましとしては、主人公弓子は、初老の予備校教師と挿入だけのない愛人関係にあり、その愛人に斡旋されてモグリの予備校教師を始めると、学校に行っているよりも、金を貰って教師をやっている方がずっと充実している気になって、大学には行かなくなり、そして挿入のない愛人ともかなしい別れがやってくる。でも挿入がなかったから、自分は、実はその愛人の2号さん、妻ダッシュ、よりもまだランクが下と処理されただけだったということにそこで気づく、という話です」
「つまり、それな、名士の名刺は傷つかない、ってことやろ。挿入さえなければな」
「そうなんです。傷つくも傷つかないも、俺ががっついた後の後片付けは、お前の仕事だから、面汚し有無の確認と払拭やっとけ、というところですね。ダイヤ、というのは、何でもいいけど、若く搾取された女子の安否でだけは、ないの」
「心配なのは、ひたすらおのれの対面、失墜やから。三石先生、やらはりますな、しかし。流石に若い頃からあの調子やったんやろうか。うちな、あの映画は覚えとるけど、小説は知らんかってん。もう一本つけますよ。あっ、いらっしゃー、いて、あんた、フヒケイコさんや。ようきたの、オノレ?」
「うわーっ、フヒさん」
「ヨウキマシマシタ、って幻舟さんに来い来い言われてたから。今間違ってまず
バー人民行っちゃって、閉まってたけど、張り紙があったから。あら、未央ちゃんだね、うわお母さんそっくりだわ。あ、ごめんね。禁句だった?」
「いえ、よく云われます。まず、それを云いたくて、でも我慢しているような人たちも、一定数いらっしゃるみたいなのですが。口にして頂いた方が面白いです。やはり似てますか。私父の方に似てると云われていたんですが、若い時は」
「お母さんそっくりです。大女優の、凄い憧れでしたよ。まああたしたちはまだよく映画をみた世代でね」
「そうや、憧れの役者さんいうたら、左さんやったなあ。しみじみや、今夜は。ケイコちゃんもな、熱燗いきますか。それとも洋酒?バクダン?よろしいで、赤玉ポートワインあるで。それと、生焼酎でいきますか。え、なんやて?ココトメさん。ああ、こちらにきたときの飛び降りはったころ、一緒におったのホストか、て?待て待て待てい、まず飲んでもらいましょ」
「飲んで口割らせようって?ははは。あたしはまず、口下手なんでね、もう。でも、皆さんが思ったまんまでしょう。別に何も、ややこしいの無しで、金払ってついてきて貰ってたの、寂しいから。それだけ」
「今夜はお題があってのことやから。低学歴女子会や。ここに、ココトメさん、未央ちゃん、私とみんな小学校中退や。ここでケイコちゃんにも決めてもらいましょ。で、ケイコちゃんは、もちょっと続いた口やんな」
「あたしは、ああ、ちょうど幻舟さんとこと似ていて、親は旅芸人だけど、うちは浪曲師だったから、一つのところに長く留まっていられなくて、学校はギリギリでなんとか中学まで行ったけどね、その先は」
「芸能界入りですよね」
「いや、未央ちゃんぐらいの世代になると、こういうのはリアルタイムじゃないかな。あの頃はよくあったことだけど、あたしはレコード出すまでに弟子入り、修行時代がね、あったんです」
「せやから、あれや、芸能界の檀家・家元制みたいなもんや」
「何笑ってんの、幻舟さん」
「いやいや、ここら辺全部違う人達のおんなじ話だから。退屈ちゃうかー(大爆笑)」
「そうだねえ、さっきのあの子育てミミちゃんの話もね、あれが養女になって、あの作家先生が本書いた、ああ、賞取られたんだっけ?すごく流行って、映画になった。加藤剛・栗原小巻って、当時これ以上ない美男美女キャストが養夫婦の分校の先生なんだよね。あれすごくいい話だったけど、こういう前振りがあったから、後で凄い酷いことがあった、と暴かれて、話題になったんだよね。そういえばね、あたしが生まれたのは一ノ関で、あの話の舞台があの辺り、もうちょっと遠くかな、でもあの辺りですよ。だから色々考えた覚えありますよ。でも、ああいうのは、もう出世の前払いみたいなものですよね昔は。だから、出世できればチャラで、逆にもっと借りが増えちゃうけど、出世できなきゃ、もうその博打は負けだから。でも、そういうことだらけの、ヤクザ商売が、芸事で、そもそも。ただ、一緒くたにできないけど、ミミちゃんの話って、あの子、そもそもみなしごだったんでしょう。あ、みなしご、ってより、はあ、あの作家先生の前に、別の作家先生がいて、その、きださんが自分の籍に入れた、のは事実だけど、実際に血縁にあったかは不明?それは、凄い。ああ、芸者さんのとこにできた子で。あら。それじゃ、当人は芸人じゃないんだ。あ、そうか、大学受験レース馬に仕立てられた。そりゃ、もう当人にとっちゃ死に物狂いの、恋人ごっこだったろうよ」
「そうや。ミミからしたら、ひひじじい挿入せんから、疲れんだけええけどな、つう、いまで云ったらパパ活や。そんなこんなで、大学に入るまで我慢して、大学デビューしたる、とでも思って辛抱しとったんやろ。固く口止めだけされてな。そこをな、あのひひじじおっさん、大学に入ってからも、この『養女愛人』の手綱緩めへんねんから。それで、ミミが夜遊びで勇名馳せるやんか。そうなると、愛人に金つぎ込んで、裏切られて怒ったおっさんがな、ミミ批判始めるんやで、公に。でも、本当は、愛人に逃げられそうで、逃がさんぞ、という脅しと、逃げられたくない、悔しい、というおっさんの嫉妬があって、そうかーそれやったら、ってミミが三好がずっとやっとった諸々、暴露したんや」
「そうなると、結局、ミミさんの『ごっこ』も、養女となると、終わりがないからね。その作家のおとうさんは、その時はもう借金取りなんだよね」
「そうや。借金取りや。置屋逃げた女郎と一緒な、その辺は」
「それで、どう終わったんだっけ?私フォーカス、フライデーで、あの頃、見てたから覚えはあるけど。その後は」
「ミミが、おっさんがミミの大学、いや浪人する時か、そのために買うたマンションから出ていくことを条件に、おっさんがミミに800万円手切金払って、養子縁組を解消してな。ミミはいろいろあって、芸能界、マスコミほんの短い間仕事しとったけど。本が何冊か、普通の自叙伝とエロ本、アダルトビデオ、ホテトルとな、ひと通り」
「あの、三好京三が死ぬ数年前、後日談みたいなことを書いていて、ミミさんと和解して、ミミさん曰く、『当時は悪い人に騙されて』と許しを乞うてきたとありましたよね。2003年ぐらいか」
「そうや。未央ちゃん、よう知っとんな」
「あれ、三好の死ぬ前の創作童話だったんだろうなと、私は思ってます」
「そうや。そうでなければ、ミミ本人が出てきて喋らんことにはな、このおっさんの云うことあてになるわけがないやろ。ああ、おっさん、どろぬぐいを自分でやってはるわ、と思ったけどな当時は。しかし、ミミがそれ、自分のことがまた書かれている、ということをどう思うのか知りたかってん。つらい、ハラワタ煮えてもうた。あれな、マンション退去、示談の頃、その後のマスコミ露出をしない等の契約込みやんか。だからおっさんがその後どんな話触れ回っても、ミミの側から何も云えへん、だから云い放題ということやがな」
「あの、創作童話で、英国人(白人)と結婚、って強調されているのもね」
「そうや。あれ、おのれの差別意識丸出しやんな。でも、ミミが、大学デビューで遊び狂ってた頃、黒人専門で遊んどったことを、週刊誌がすっぱ抜いたのがことの始まりで、それを三好がまずごっつ恥じてな、そこで、公にミミの批判を発表。大学は、東京女子大に入学はしとったものの、実際殆どサボって何年ダブったんやろ、結局中退か除籍やな。でもな、三好には、黒人の米兵と遊んどる、というのが一番の屈辱で、我慢ならん、で、その汚名を注ぎたい、というのが動機だったらしいで」
「それは(爆)」
「凄い逸話ですね(爆)」
「ミミは、物心つくかつかないかの頃から、何が何やら全部ぐちゃぐちゃが当たり前や。しかも、訳のわからないおじいさんが自分のおとうさん、で、その手続きの有無も知らされてない、だから何が何かも、誰が誰かも、おのれが誰かも、実はよう知らん、てなところで、それなりに、いうか、凄まじい生存を既に果たしとるんやで、もう、三好のおっさんとこ行く前に。これが十一、そのぐらいやな。要するに性虐待はな、後に未挿入家庭内愛人になるとして、きだといた時も、多少は内容は違ってても、性虐待があって、そういうことはもう既に始まっていたそうですよ、ミミの最後の暴露によれば。まさに、未央ちゃんの云いはった、ひひじじいバトンリレーや。せやから」
「あの、それで思い出したんですけど。私ね、ある時、本当にたまたま、大島渚と木田みのるの対談というのを読んだことがあって、そこで大島が『ミミくんの存在意義は』みたいなこと振られて、きだが『性器だ』と答えているんです。これはどういう経緯でどこに入っていた対談なのか、調べればどこかから出てくるには違いないんですが、これはまだきだが元気で、ミミさんと一緒に暮らしていた頃の会談であるのは確かで、私はそれを読んだ時、これは何かの冗談か、それでも面白くないから、変だな、と何か不吉な印象を持ったのを覚えています。それはその刊行物を刊行時に読んだのか、どうか覚えていませんが、私がそういう含みが一切わからない頃読んだのは確かで、でも、ミミさんが、その、子供として、既に性を軽んじられる状況にはあった証拠でもありますよね」
「それ凄い資料やないか。どこ行ったら出てくるかいな。国会図書館か」
「私も発掘作業しなけりゃと思っていたんですよ」
「そのぐらいの話になると、ミミちゃんは、そういうお父さん達を、冗談でも、好きだったということはないんでしょうね」
「好きと云いますと」
「恋愛ごっこやっているうちに馴染んで、とか、そもそも恋愛みたいな気分」
「それは無理やろうな。おじいさんからおっさんにバトンが渡り、幼女から養女へ、ミミが変わっただけでな。女児ですよ」
「それは凄い残酷ですよね。私、子供は宝、のような発言を聞くと、まあ、そういうのは大体人口の減少緩和とか、そういう関係の話で云っていることが多いけど、そうだ、子供は無論宝だけれども、そもそも宝なのは命ですから、子供が宝なら、年配の方も宝ですと校正したくなります。でも、もっと校正すれば、子供が宝なのは、その子供時代、なんですよね。大人になってから、何を以ても、子供時代の白紙状態を買い戻したりは、出来ないんです」
「それ、それや。未央ちゃんほんと、頭切れるな。本当に似てるのは、おとうさんやない、五郎、おじいさんや」
「そうでしたか。(爆)でも、ミミさんの過酷な子供時代について、考えると、もう、どんなだったか」
「みなしごが辛いのは、もちろん、身近に、何だかんだ云っても、そばに親がいないという心細さ、辛さ、は当然あるけど、それと同じぐらい辛いのは、みなしごの貧しさだよね。まずそこを解決しないと、という感じの切羽詰まったもので。次の食べるものをどこから持ってこよう、という。だからね、恋人ごっこもどんなに必死だったろうと」
「確かに、ミミは、ただ搾取されとったわけやないで。中学生ぐらいで素股やらされた分、いつかちゃんと金にして取り立てる。それが、策略というよりも、あの子の、生存のために培った自然な発想だった、ということでもあんねん」
「あたしは、親はいたけど、だからミミちゃんのようにねえ、みなしごじゃないから、そこは違うけど、貧乏でね。本当に、食べるに事欠く、ってほどで。もう、見るもの全部食べたいぐらいいつも餓えて生活しててね。だから親がいない子の貧乏より、云ってみれば、もっと始末が悪くて。だって、その貧乏をどうもできない親についていく生活だから。そういうことすべてを、歌を歌えばで解決できる、と思って、そうやって東京に行ったのが始まりで。その時はあたしと母と、二人で小さなアパート、新宿に借りたところで。そこから、それがなんとか現実になる、と、あたしを十五で自分の弟子にね、欲しいっていう先生が現れた。そういう形で、本当に、貰われるようにして、弟子に入った。そのお師匠さんが、まあ私の家元で、恩師で、歌を書いて、プロダクション作って、売り出して、って全部やった。後で、あたしのことを覚えている人がいたら、それは随分奇特な人だと思う。いや、謙遜してんじゃないの。あたしが本当に活動したのは、正味二年で、その前の修行時代の方が長い。そのあとの腐れはもっと長いくて、永遠だ。でも、あたしが歌手だったのは、本当に短い間でしたよ」
「前川清と結婚しとった、あれは」
「あれはねえ、別に、気晴らしにやってみた。でも、お互いに何も引き留めるような、そういうのがないから、それが良かったから、一緒になってすぐ別れて。あの、そういう関係とか、そういう人もいるんだな、という気がした。それまで、あたしが知ってるのは、そのお師匠さんが、あたしを自分とこ連れて行って、もうたちまち、夫婦同然だから。でも、それは、あの、お父さんやお母さんが、二人、同じようにつりあって、というような夫婦ではないから。あたしは、貰われてきた子供で、そういうお父さんに女中さんとか、子供とか、どうしても釣り合わない感じの男の人と、夫婦同然、って感じでした。頭が狂うかと思った。でも、これが修行か、歌手になるのか、なれるのか、ならなけりゃ、とね、思いつめましたねえ。あたしは、すごく暗くて、陰気で駄目、ってどこでも云われていたから、やっぱり芸能界なんて無理じゃないかという恐れも常に一緒にあって。あの、貰われた、というの、よくお嫁さんにやるの貰うの、というのが、あたしの場合は、うちの母がね、お師匠さんに、あたしを、あとはなんとでも、という形で、呉れてやった、ということだったんですね。あたしは、歌でなんとかするためなら、ここでなんとかやらなけりゃ、と思って、お師匠についた。あの時は、ちょうどミミちゃんの作家先生とこの子供になってた頃と、思えば同じぐらいの年ですもんね。あたしは、お師匠さんがあたしをどうするのも、なんとすることもできない、ただ歌を歌うことだけで、応えるだけです。師匠があたしをどうするかを、粘土をこねるように、こね回しながら、考えてました。あたしは、師匠がどうとでも作れる粘土でしたね。そこで、あたしが持っていたのは、唯一の自分のものは、声だけ。師匠がこう、といえば、こう、と歌い、ああ、といえば、ああ、と歌うだけの、あとは、師匠が、どういう形に捏ねるか、考えあぐねる、粘土になりました。そして、ある時、あたしの声に、お師匠さんの後ろの、ドアの向こうから、返事が来た。それまでは、お師匠さんがあたしの前に立って、それが世界で、あたしはその世界に向かって、歌いました。声を、届かせろ、と云われるように、云われるままに、歌いました。なんの答えもありません。何年もありません。それが、ある時、突然、ドアが開いて、ひかりがさした。世界があたしの声に返事した。あたしは、自分のその部屋に閉じ込められていた、陰気な、無力な、親から師匠に売られた自分のことを、まさに歌わされた腹話術人形だったのでしょう。でもそういうことは、歌ってしまうと、別に知る必要も知られる必要もなくなるんだよね。歌ったら、みんなの歌になるんだよ。声って、ある程度は運命だって、声を使う人は、特に歌い手は、みんな知ってるもので。声は運命で、その人の行き先を決める。稽古、ボイストレーニング、でそれにね、逆らうんですよ。声が、それでも、その行き先を決める。そのせめぎ合いが、歌手生命というものなんだと思うんだけど、あたしは、あのデビューがあって、そこから二年で、それを使い果たしたんですね。終わりはすぐに来たけど。それに気づいたのは、もう総て終わった後だった。あたしはようやく二十歳過ぎ」
「それは、喉の手術の時では」
「ないんですよ。それはもっと後の、とどめで。そしてとどめも何度かあったけど、その一つが、確かに喉のポリープを取る手術で。あれで声の質が変わった。確かに、それも運命ですよ。あたしは元々枯れ声、かすれ声で、本来歌謡で女の人が歌う声の基準でいったら、駄目な声なんですよね。そういう声で芸を成したのは、淡谷先生とか、青江三奈さん、そのあと、あたしののデビュのすぐ後ぐらいなら、八代亜紀さん、と、あまりいない。あればかなり珍しいのですが、それがあたしの天命ということだから、それを全身で生きなければ、と思ったら、それがあっという間に尽きた、ということなんでしょう。あたしの掠れた、枯れた声が、引っ掛かりのない、むしろ澄んだ声になった。でも、それがあたしの歌手としての終わり、だったのではなくて」
「ケイコちゃん、もう一杯いこか」
「私も、お願いします。お冷で。あの、その経験された声の変化ですけど、例えば松田聖子さん、フヒさんが引退されてからのあと、の頃のデビューじゃないか、と思いますが。松田聖子さんがそういう声の変遷の、ちょうど逆を行かれましたね。デビュ当時はこれ以上ない澄んで弾力のある声、がある時期から、そうですね、その3、4年ぐらい後かな?明らかに声が掠れて、それがいつが常態として定着していましたね。もうその頃までには、松田聖子さん、人気は不動のもので、それが支障になったかどうか。最初から聴いてない人たちは、寧ろ、以前の声を知らなかったぐらいなのかもしれません」
「そう。聖子ちゃんは、もうれっきとした、働き過ぎだ。それが、年が取るのと同時に、歌い手の特性とか味、になる。聖子ちゃんは、なんとかそれで、それぞれの方向でもってた。あたしの場合はね、もう、あたしの声がおかしな感じになった、という解釈で。例えば、楽器で、チューニングが狂っているような、壊れたような。でも、そもそもの狂い、間違いは、もう、あたしが弟子入りした頃から始まっていたんだよね。当時はそのことを少しも気にかけなかったんだけど。うちの親があたしを担保に師匠に、師匠の組織する事務所に、と借金をして、もう、それが膨れ上がっていって。あたしは、師匠と、結婚だけしてない夫婦のような関係で、師匠が、自分を世に出してくれた、師匠だからできたんだと思ってたから、うちの親が借金をすればするほど、師匠が金が要る、師匠が金が要れば、あたし以外に金を作るものが事務所にない、という、あの、師匠があたしを売るためだけに事務所を作ったんです。そこで、あっという間に、レコード売り上げが低迷してね。これは本当は、新人の紹介の時期が’終わっただけ、ということなんですよね。ここで慌てる奴はそのあと続かないよね。あたしの場合は、あたしの歌はもちろん、何をどうするか、髪型、どんな顔の表情をするか、何を云うか、全部師匠が決めていたから、それ以外何もしたことがない。つまり、そういう売り方、戦略は師匠が決めた。その師匠は、その先の考えには用意がなかった。だから、紹介が終わって、それが限界になれば、たちまち、影響がありますね。それでも、あたしは、師匠だから、あたしをレコード歌手にできた、これが運命、というように、信じて疑わなかった。だから、師匠が他に結婚するような女の人がいて、パッと結婚した時、ああ、これは、運命でも愛でも、なかったのか、と思って。今になってみれば、みんなもうそれは聴いたよ、見たよ、ここで商線を変えるもんだよ、というところだった、それだけのものだったのでしょうが、他の先生たちが、例えば阿久悠先生なんかが今度は自分のとこで曲を、プロデュースを、と話を持ちかけてこられてきた時、師匠には、それが、チャンスじゃなくてピンチになっちゃったんだ。自分の作った人形がそれ自身の命を持って動き出したと思った。それを、恐れたり、悔しがったりして、あたしを監禁みたいなね、そう、文字通りそのまんまの昔の置屋みたいな、そうして閉じ込めて、私が何もできないようにして、他の人たちと連絡とか、裏切りがないように、そういうことが出来ないようにして。狂ってるでしょう。狂ってましたよ。師匠もあたしも。そして、師匠は他の女の人と結婚したんだよね、本当に、パッと。だから、フヒは、曲が二、三曲しかない、曲に恵まれなかった、事務所がおかしかった、プロデュースが駄目だった、大手事務所に入ってれば、阿久悠に書かせれば、って、いろんなことを後に云われたけど、あたしは、師匠が、あたしとああいう暮らしをして、あたしを見事に世に出して、スターにして、結婚だけしない夫婦で、そして簡単にある日突然あたしを棄てた。あれが、あたしの歌の終わりで、それから、あたしの人生も、残り滓で、でも腐れてまだ続いていく。それが」
「ケイコちゃん初恋の」
「ひひじじいです(爆)。だからね、あたしわかってるんですよ。向こうの世の人達は、フヒケイコ初恋のひひじじいの後追って飛び降り自殺したよ、って。まあこんな昔話を覚えている、奇特な人がいてくれればねのことだけどさ」
「あの、今ね、フヒさんの芸能界名人譚を伺っていて考えてしまったことに、あの、割と最近の台湾の小説で『ファン・スーチーの初恋の楽園』というのがあって、作者の年若い女性、林奕含(リン・イーハン)が自死で程なく亡くなっていますが、あれを思い出しました」
「なになに?初恋の、なんやて?」
「『ファン・スーチーの初恋の楽園』という題名ですが、台湾の高雄、台北の、いわゆるタワーマンションに住むような恵まれた優秀な少女が十三の時、下の階に住む憧れの国語のカリスマ塾講師とでもいうか、五十代既婚で子供もいる男からの、作文を個人指導するよ、もちろん無報酬で、という話を間に受け訪問すると、そこから強姦と支配の関係が始まります。少女はそれが、愛であると信じて、何年も関係を、辛く、不信に苛まれながらも、歯を食いしばって、続けます。そしてある時、その教師は同じような関係を他の、自分より更に低年齢層女子とも持っていることを、そしてスーチーは自分はもうお払い箱というということを知り、告発をしますが、スター講師の名声に対し一介の女子高生スーチーによる告発は分がなく、寧ろこれによって、スーチーは汚名のみを被り、絶望から自殺を試みますが、それは不成功に終わり、身体が不自由ながらはまだ生きている、が魂は既に死んでいる、と告白して、小説は終わります。出版後の二ヶ月後、作者は死亡している」
「その作者の、スーチーは飛び降りたんか?何歳やて、亡くなりはったの」
「ああ、ややこしいんですが、スーチー、ファン・スーチーは作品の主人公の名前で、題名になっていますが、作者はリン・イーハンですね。享年26歳、縊死です」
「要するに、それは、実話、自叙伝だったんだよね」
「そこなのですが、これはもちろん小説の形をとっているものの、この国語教師に限って云えば、実際存在しています。この人は、特定されて、刑事告訴されているんじゃないかな、作者の死後に。そのぐらい、これは台湾社会に影響があった小説、ということで。でも、私がこの小説で最も考えさせられることは、虐待の告発、虐待が事実に基づく、作者が自分の生命を賭して世に問うた、ということよりも寧ろ、この主人公の絶望は、自分が虐待の被害にあったからではなく、自分が虐待者に搾取されていただけで、愛されていたわけではない、つまり、そういう、最高の到達目標が愛で、愛に手が届く、もうすぐ、と艱難辛苦を乗り越えて、やっとそれを掴んだら、それは汚物だった、ということに、絶望していること、を表しきっていること、なんですよね。これは、ある意味、特に中華圏では特筆すべき現象で」
「あたしはわかるよね。その初恋って、まあそう云ってみれば、初恋。その天国が終わって、その後の地獄から、あたしは出て行きたくなかったから。あたしがそこから出て行ったら、あたしがそこにいたことが全部なくなるから。そのぐらいだったら、その地獄にじっとして、地獄を見張っていなければいけない。だからそこから出られない」
「そして師匠が逝かれた」
「だからあたしも、もう見張るものがなくなった」
「これは、初恋の天国と地獄、って、それは未央ちゃんのお父さんの映画と一緒やんな」
「ああ、寺山さんの、でもありますね。ファン・スーチーの小説、題名は、楽園になっている。天国でも、無論通じますけど」
「天国のほうが良かったかもね」
「もうわたしキレてんねん、って感じでな」
「あの、小室哲哉一家にそういう娘さんがいたよね」
「どの」
「小室さんがお師匠で、派手に共演していて」
「あー、朋ちゃん。あれもかなり派手に腹話術やっていた。小室さんがね」
「どの娘や」
「華原朋美さん、派手に売り出したと思ったら派手に破局、そして派手にキレていたのは、私あの頃日本にいなかったんですけど、香港ではもう、凄い騒ぎで。覚えています。小室哲哉は、それ程の気持ちはなかったので、構図上は一方的に捨てたように見えたのでね、特に中華圏では、あれは年若い女性が指導者に手をつけられて、捨てられた、つまり、公にやると、物凄い批判を食らうんですよね。私は、あれは寧ろ、あたかも結婚前のはなやいだ風情を商売に使って売った、イメージ商法の後結婚しない、ということで、むしろ聴衆への結婚詐欺商法、だったのかな、と思います。中華ファン層の怒りはね、それもあったのでしょう」
「そやかて、ほんなの、中華でもどこでも、一緒ちゃうか」
「確かにそうですが、その欺きの対象、に当の朋ちゃん自身入れられている、ということが凄い、あの、ご祝儀泥棒商法みたいなものをどうするか、という話ですかね(爆笑)。それでも、日本の外でこの話があったかは別として、私は、小室さんは単純にカミングアウトできない世代のゲイだったから、朋ちゃんの、カムフラージュ婚には最も不適である、ということが分かり次第、それに妥当である女性を試行錯誤で選んで、結局無難な、口も固かろう忠実な部下ということで、グローブのヴォーカル女性にオチをつけた、ということだったんだろうなと思っている。少なくとも、そう考えるたくなるような、雑で杜撰ながら、私生活をちゃっかり巻き込んだマーケティング戦略です。それでも、当時の華原朋美ポイ捨て、それが中華女子の「ロマンスとは、援助であり、愛とは保護である」筈、という通念と交じり合うと、中華系大衆の怒りは大層なものでした。それにしても、この「援助がロマンス」という通念は中華圏は根強いんです。でも、そういうことは結婚で着地しなければ、男の側の弱みになるので、結婚の見込みが最初からない関係は、皆隠れてやります。そこに、愛人女性へのなんらかの報酬、保証がなければ、男子に全て返っていく、つまり名刺が傷つきますから、リスクが高い。よって、愛人業は、性産業に勤めるよりも素人女性にとってはずっと敷居の低い、かつ需要がある仕事です。しかも、ある程度もう認められたあり方であり、キャリアでもあります。そこは今日の日本とは大いに違いますね。日本では、愛人業の中の大きな必須事項「恋愛の模倣」という労働はもう廃れて久しいのでは。そんなことするぐらいなら、性産業で時間で払われる労働をする方が割に合う、という心構えや知識が、もうほんの若い子供でも、あるのでしょう」
「あの、あたしね、あの頃、日本の音楽をよーく聴いていたんですよね。娘をそういう感じの世界のどこにどう入れたらいいのか、入れられるか、考えなきゃいけない、ってこともあって」
「ほうか、もうあの頃から」
「結局、みんな女の人の歌なんだもんね、小室さんとこって」
「小室さんと、そのあとのエイベックスの浜崎あゆみ、それからは安室奈美恵と、女性歌謡は変遷しつつも、続いていたんですよね」
「でもうちの娘の場合は、結局歌手じゃないから、うちのお父さんがもうどこにもやらないで、うちで始めさせたっきり」
「今日のひかりさん、なんですね」
「そこや、芸の縁組は解消でるんけど、本当のお父さんとは解消できんから」
「そうなのよ。あたしとウテダのとうさんだって、切れるに切れない7回婚っていうのは、何かそこに愛憎があってじゃないんですよ。ってみんな知っているでしょうけどね(爆)」
「そういうの、刑務所より辛いんや。そやから、ケイコさんの娘、ひかりちゃんな、あれある意味刑務所より辛いんちゃうか。しみじみ考えとるで。これは独房やろか、無期かいな、と」
「それはありますよ。結局あたしはウテダとうさんと血が繋がってないけど、あの子は繋がってるから、7回でも何回でも、あたしは離婚できるけど、ひかりはお父さんとは、離婚できないからね。でもね、少なくとも、あの子は自分の口に言葉を詰めて吐かせるような、お師匠さんがいない、そういうのなしで世の中に出られただけ、良かったと思ってんの。それだけであたしとしてはもう充分、ということにしたよ」
「当時から今日まで、気になった女性歌謡はありますか」
「そうねえ。歌謡って云ってももう、テレビもレコードもなくなった世の中で、歌の意味ってもう昔といまじゃ全然違うから。昔は、歌って、人の声と旋律だけで、それで歌詞、言葉もねもちろんあり、本当にそれだけで、一曲が一つの劇場を張る、張ってお見せする、というものでしたから。少なくとも、あたしはまだそういう歌という劇場をどうするか、どういう人になったら、その一人劇場の役者で監督で、そこでそれにふさわしく演じられるか、ということを背負っていた世代で。後でね、女の人の歌謡で最後に面白いと思ったのは、例えばね、浜崎あゆみ、かなあ。あたしはそれほど多く聴いたというんじゃないけど、あの浜崎さんになると、歌は鼻歌、になっているんですね。つまり、あたしたちが背負った舞台、劇場を繰り出す、命がけの全身全霊、というものじゃない。自分のために歌う鼻歌、という芸で、それが成り立ってるんだもんね。あれはたいしたもんだなと」
「あの、ご存知かどうか。浜崎あゆみは、本当に最後の歌謡歌手ということになると思いますが、日本歌謡界、芸能界最後の『援助ロマンス』を今日まで繰り広げている点面白い。そのお相手は?レコード会社の社長で、浜崎がまだ十七の時、クラブでうろうろしている伸び悩んだ役者の駆け出しの頃、声をかけて、役者もいいけど、歌はどうか、とスカウトしたのが始まりだったらしいです。当時、さて、社長Mさんはすでに自分のレコード会社を組織していて、飛ぶ鳥を落とす勢いで、お金はあった、しかし自分がその成功によって頽廃しつつあることも知っていた、そんな時、妙に暗いあゆに惚れ込んだ、という経緯で。そこでMさんがしたことは、あゆに自分の歌詞を書かせることだったそうですね。つまり、自分の言葉を持たせることから始まる、自分のための、鼻歌芸の始まりがそこにあった」
「浜崎は、そこから速攻で愛人になったんか」
「そういうこと、なのでしょうが、この援助ロマンスは、ずーっと続いて、そういう商法とはいえ、まだ終わってない。つまり、年上の既に社会的に成功している業界権力者男子が駆け出しの少女に成功の援助を、ということで始まった、ことから始まり、数十年、二人ともお互い、搾取、破滅、という業界に蔓延する類型に陥らない同盟、それが愛、というところに昇華して、現在進行形、そして最後の、日本の援助ロマンス、と云われる、というか、私が考える、所以です。つまり、これは多少なりとも、あるいは大いに、進化した芸能の在り方、ということもできる。問題はあるが、過去に比べて、大いに救いもある。それは、日本の家父長制の重圧がとにかくどこもかしこも蔓延していた、しかもそんなに昔じゃない、という、因習が、ようやく取り払われている兆しなんですよね。そういう日本を、例えば他のアジアの状況と照らし合わせて考えると、色々と気付かされます」
「それでな、そんな話なら、うちがごっつ気になった映画あんねん。あの、『色、戒』って、昔の日活かいな、という題やったけど、あれは、文句なし、酷いで。救いがどこにもないんやから。中国人の若い女、女子大生や、あれが戦中の対日工作員で、殺さなあかん親日の高官の愛人になって、そのな、殺しの機会を伺っとる間に、惚れてまうんや、その高官に」
「おおっと、それは、今夜のテーマに最適です。あのアン・リー、台湾出身の監督が、アイリーンチャン、中国出身でのちに合衆国に渡るんですが、の同名小説を映画化したんですよね。実は、先程あげた、ファン・スーチーの作者は、アイリーンチャンの多大な影響の元にファンスーチーを書いたと明言してもいるんですよ」
「さようか。ほなら、あの映画が描いていないことが小説にあるんか気になるわ」
「あの映画はほぼ小説に忠実で、寧ろ物足りないぐらいですよね。特に気になった点は」
「あの女スパイが、殺さねばならんという愛人の高官、その男を、惚れたから逃がすやろ」
「そうです。あの時、ピンクのダイヤモンドを」
「買うてやる。贈り物や」
「あれが、小説でも、肝心な部分ですね。あの女性、学生部隊のスパイ、王佳芝(ワン・チアチー)、があのダイヤモンドで、高官で殺しの標的である易黙成(イー・モーツォン)に、自分が本当に愛されていると感じる、ほろりとする場面です」
「ということは、あれ、あの長官は、あの工作員の愛人を本当に愛して、ダイヤ買うたんですか?それとも、そう思わせて、ということは、イーか、イーは女がスパイとお見通しで、自分を逃すように操ったろうと、そういう心づもりよって、ダイヤ買うたんですか」
「あれは、小説でも映画でも、高官イーは女工作員チウチーを本当に愛した、ということで、それがダイアモンドによって顕され、それが高価なものだからこそ、私は愛されている、という解釈記号となって、イーを逃がします。それでも、イーの立場では、身の回りの人間で信用できるものが誰もいないという点では、チアチーにもある程度の警戒は、常にしてはいるものの。とはいえ、あからさまに工作員としてお見通し、ということはないんです。つまり、色仕掛けで殺す、そして殺される筈の男女の間の、一瞬の気の緩みから落ちた恋愛の無残な顛末、ということなのですが、あの小説は、映画がやはり描いているように、フェミニズム的視点、には欠け、寧ろ、愛に殉教する、究極のロマンスの完成、のように読めますね」
「あれな、搾取どころやないで、生贄や。あの女工作員は、ああ、チウチーな、あれがあそこの色仕掛け暗殺役にあてがわれるのも、学生部隊のなリーダー格の、同じ年頃の恋人の采配やったろ。そこを考えれば、これ以上搾取される役回りもないんやで」
「そうなんです。チウチーは、恋人である学生部隊のリーダーが仕立てた工作員で、愛人になってイーの懐に入り込んでいく目論見で、実際それが本当に実行されたら、ロマンスが発火してしまった、という話で。ここに、フェミニズム的な批評も、或いはチウチーは高いダイヤを巡る打算、もなく、あるのは、搾取どころか、自分がただの生贄であるということには無自覚、つまり、眠ったままで、処刑される、ロマンスの殉教者のように描かれています」
「無慈悲やのう」
「確かに、中国四千年にフェミニズムという文字はない、ということで、無情の古典なのです。中国文化で女子の生存は、その歴史上、無慈悲の暴風に吹き荒ぶ、吹き飛ばされる、全き儚きもので、だからこそ、男の庇護と寵愛こそが、唯一の命綱で、それを尊び、ロマンスという価値に祭り上げられ、よって、ロマンスとは、援助、援助がロマンスという通念が今日までまかり通るのですが。ここで、先程あげた『ファン・スーチーの初恋の楽園』ですが」
「それも無慈悲な話や」
「全くです。しかし、ファン・スーチーは、搾取、虐待、というものが、構造的であること、それは寵愛と庇護、援助こそがロマンスである、という長年使われてきた催眠術、詐欺、みたいなものから、目を醒ましたヒロイン、ファン・スーチーを描きました。これが進化、ということです」
「それが、起きてみたら、ほんと地獄でもね」
「そうです。搾取であって、愛じゃない。生贄であって、ロマンスじゃない」
「ほんま言葉がないわ。と云いたいとこですが、コメントがぎょうさんきてんねん。何点か、読みますよ。ええと、これは、ああ、エンゲルスさんや。『毎回見てます。前回あたりからそろそろやばいか、と思っていたのですが、今回さすがにダメかも知れないので、もう云うわ。マルクスの、ロンドンにいた時の住み込みの子に産ませた子供、俺の子供にして認知したけど、あれは実は、マルクスが、自分のかみさんにバレるのを恐れて、頼まれたからで、本当は俺じゃない。マルクスの子供だよ』だそうです。って、おっさん、これなみんな知っとるわ。それでも、わざわざ教えてくれて、毎回見てくれはるのもな、ありがとう。次は、おっと、三石先生キター、テレフォン人生相談の、そして作家である、三石由紀子先生、『もはや四十年以上も前の小説『ダイヤモンドは傷つかない』を今日読んでくださるという奇特な皆さんにアドヴァイスすることがあれば、主人公弓子は、まず田舎から米送ってくる以外能の無い母親との関係を悩んで、それを断つために、経済的自立を果たさなければ、という悲願がありそれが、全ての始まりだったのかも知れませんね。そして、女の子供と父親の関係とは、羽仁さんがおっしゃったような、子供時代の白紙状態の2倍3倍あるいは100倍重要で、結局、女の子供が、条件や取引なしで一緒にいられて、受け入れられていると感じさせてくれる異性の存在は、本来父親だけです。それをそう感じさせられるのは、子供が子供の時だけなのです。そしてそれに現実で応えられる父親のなんと少ないことか。多くの女性は、こういう父親の存在なしで子供でなくなり、大人になります。ちなみに、弓子の予備校教師の愛人との挿入なし関係は、弓子への心遣いからの禁欲、とかいうものではなく、痛飲からの不能でした。読んだ方はお分かりでしょうが、これは小説未読の方、映画だけ観た方、視聴者の方へ説明です。みなさんも、何か相談があったら、お電話下さい』だそうです。この父親との関係の話、ほんっとやな。あっケイコちゃん、電話しよか?ああ、配信終わってからな。お次は、信田さよ子先生から。『告発する系譜の女子の子供、は実は世界津々浦々、古今東西に分布していて、古代ギリシャのアンチゴネー、これは、家父長制に叛逆して投獄、つまり花柳さんの前科者の無意識棚、どころか、無意識仏壇にでも安置して頂きたいのですが、自分の兄の葬式の喪主に女子だからなれない、ということに抗議して、生き埋めの刑に処されています。これには、「告発する女性」という、意見を同じくする者、当事者、連帯者、味方がいつのどこの世にも数多く存在することの証でもあります。それから、三石由紀子先生著の『ダイヤモンドは傷つかない』で性交に至らない関係は寧ろ不能によってであって、他の理由ではない、という点、三好京三と養女の廣瀬(佐々木)千尋さんとの関係も、実はそうでしたね。三好の妻が、自身の夫の糖尿病に起因する不能を挙げて、夫の無実、冤罪の援護射撃をしていました』だそうです。そや、あのおっさん、挿入しない克己心で無罪、のようなこと抜かしとったけど、実際は勃たんのや。ということは、勃ってたら入れてたということでもあるわ。ひひじじい、ここまでくると、凄惨ですよ。もひとつ、おや。あっ、あの、これ、放送大学の高橋和夫先生や。『今晩は。今回は大変レベルの高いゼミ式討論会で、まとめて後で論文にして提出してもらうか、あるいは配信を以って論文に代えるか、迷います。それから、これはこゝとめゼミにしますか、それとも、花柳’ゼミ名義で提出しますか。次回は、地理的に広げて、中東の女子の歴史と状況を射程に入れて調査するのはどうでしょう。今回で、一つ問題があるとすれば、花柳さん、小学校中退、ではなく、放送大学卒業されておられるので、そこを正確にしておいてください』やて。ああ、そうや。放送大学卒やった、私。『低学歴というと詐称の誹りを受けかねません』あちゃー。堪忍な」
「幻舟さんどうやってその大学って入ったのかな」
「ああ、放送大学は、誰でも入れるで。ケイコちゃんもやるか。宿題が大変やけど、そんなの飲むの週にふた晩だけにしとけば楽勝やろ」
「そうか。大学か。あたし今ね、コメントの話聞いてたら、昔ギリシャのイカロースはー、って歌思い出してね」
「どないな歌」
「むかーしギリシャのイカロースは、寂しいという文字はない。あれ、あたし、これ歌うといつもいつの間にかカルメン・マキになっちゃうんだけど。あの、寺山さんの」
「時には、母のない子のように?」
「寺山さんの歌詞で、世界歴史の教科書に、寂しいという文字はない」
「わーっフヒさん、それ『もう頬杖はつかない』の歌詞ですよ。凄い!」
「あれ?これカルメン・マキのやつじゃなかった?」
「同じ感じだけどね。どちらも寺山修司作詞で」
「じゃ、あたしはね、その歌詞をずーっと混線替え歌で、『勇気ひとつを友にして』のメロディで歌ってきたんだね、ずーっと」
「私もその歌は知ってますよ。ギリシャ神話のイカロスが蝋の羽根で太陽に向かって飛んでいく、と太陽の熱で翼が溶けて落ちて死ぬ、だけど勇気ひとつを友にして、という、あれ、『NHK みんなのうた』でしたよね」
「せやけど、イカロスよ、それ勇気だろうか、よく考えてみ。無鉄砲ちゃうか」
「それが、イカロスのお父さんがダイダロスで、お父さんに飛んでこいって云われたから、もうしょうがないって。家父長制ですよ」
「ああ、鉄砲玉か。いや、特攻隊や。哀しいわ」
「いや、哀しいけどいい歌なんですって。歌ってみましょうか
むかしギリシャのイカロースは
哀しいという文字はない
勝ってくるぞと勇ましく
飛ぶのが怖いわけじゃない
勇気ひとつを友にして
むかしギリシャのアンチゴネー
棺に眠る兄さんの
眠りを醒ましてやりたくて
弔いめぐって生き埋めの
勇気ひとつを友にして
むかし日本の小学生
売られ捨てられ働いて
おじさん好きなわけじゃない
おじさんだけが飯食わす
勇気ひとつを友にして
勇気ひとつを友にして」
「さてと、クラブこゝとめ、今晩は低学歴女子会から、日本の人身売買の過去を振り返る夜と相なりました。もしね、面白いと思いはったら、是非、グッドボタンを押してんか。それでは、クラブこゝとめ、お店は続きますが、配信はここまで。それではみなさん、ご一緒に」
「勇気ひとつを友にして」
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